日曜メッセージ:「責任を負う時」創世記43章1節〜14節

タイトル:責任を負う時 

聖書箇所:創世記43章1節14節 

私は初めて、母からお金を預かり、スーパーに牛乳を買いに行ってちょうだいとお願いされた時を覚えています。スーパーは歩いて10分ぐらいの距離でした。私はお金をポケットに入れて、スーパーに一人で行きました。緊張したことを覚えています。ミルクの種類がたくさんありすぎて、どれが良いのかわからなかったことを覚えています。適当に牛乳を選び、ついでにお釣りでおやつもこっそり買いました。

母が初めて小さな責任を託してくれて、そこから少しずつ責任というものを学びました。神が私に授けてくださった責任と考えると、旦那としての責任、父親としての責任、牧師としての責任、クリスチャンとしての責任を考えます。皆様も同じように、さまざまな責任を負っています。親としての責任、祖母、祖父としての責任、家族に対する責任、教会のメンバーとしての責任、会社での責任、軍人として軍に対する責任。その責任をどのように忠実に全うすることができるのでしょうか?神が喜ぶように、神に栄光を帰するように、その責任を果たすことができるのでしょうか?

ヨセフのお話の中では、もちろんヨセフが注目人物ですが、今日はヨセフの兄弟、ユダに注目します。ユダは自ら大きな責任を負います。ユダの模範に倣い、私たちはどのように神に授けられた責任を忠実に果たすことができるのか、学びましょう。1)ユダは自ら責任を負う。2)ユダは責任を忠実に果たす。創世記43章1節14節

飢餓の危機が迫っているため、ヤコブの息子たちは穀物を買い足すためにエジプトに戻ることになりました。しかし、エジプトの権威者であるヨセフは彼らに一人の兄弟をここに残して帰り、ベンヤミンを連れて来なさいと命じました。ヤコブにとって、ベンヤミンを遠いエジプトに送るのは絶対にしたくないことでした。彼は既にヨセフを失っていました。彼は愛するベンヤミンまでも失いたくありませんでした。ベンヤミンはこのエジプトの権威者のもとで、どういう目に合うのかもわかりません。しかし、4番目の息子であるユダは、自分がベンヤミンを守る、彼の保証人になると言いました。ヤコブはユダを信頼し、末っ子のベニヤミンを彼に託しました。

1)ユダは自ら責任を負う。創世記の時代、兄弟の順位はとても大切でした。ヤコブはたくさんの土地、家畜、しもべを持っていました。遺産や家族の中での権威がどのように相続されるかは兄弟の中で大きな課題だったでしょう。12人の息子は皆、父親であるヤコブとの良い関係を望んでいたでしょう。しかし一番下のヨセフがヤコブに一番愛されていたことを目撃した兄弟たちは、ねたみと軽蔑を持ち、ヨセフを奴隷として売り出してしまいました。

ヨセフのお話の背景です。ヤコブには二人の妻がいました。一人はレア、もう一人はレーチェル。レアには6人の息子が生まれ、レーチェルには2人の息子が生まれした。残りの息子はヤコブの側女、本妻以外の妻のビルハとジルパから生まれました。ユダは本妻、レアの4番目の息子です。複雑な家族関係ですね。現代の韓国ドラマのようですね。兄弟たちの中の競争は激しかったでしょう。

この一件で、長男であるルベンはヤコブの信頼を失ってしまいました。創世記42章の最後に、ルベンが、ベンヤミンをエジプトに連れて行って、捕らわれた兄弟、シメオンを助けに行くと約束しても、ヤコブはもういいと言いました。状況がもっと悪くなってしまうから、何もしないでくれと言いました。(創世記42章37節~38節)

その後、ユダが登場します。ユダは父イスラエル、ヤコブに「私に任せてください。私を信頼してください」と言います。創世記43章8節~9節『ユダは父イスラエルに言った。「あの子を私と一緒に行かせてください。私たちは行きます。そうすれば私たちは、お父さんも私たちの子どもたちも、生き延びて、死なずにすむでしょう。私自身があの子の保証人となります。私が責任を負います。もしも、お父さんのもとに連れ帰らず、あなたの前にあの子を立たせなかったら、私は一生あなたの前に罪ある者となります。」』ユダはベンヤミンの責任者、保証人になる。全ての責任を負う。そしてヤコブはユダを信頼し、その責任を彼に託しました。これはまさに重大な責任です。失敗すると、ユダの人生は終わりです。それでも、彼はやってみようと決心しました。

過去のユダと今のユダの違い、成長はびっくりです。過去のユダはヨセフを奴隷として売り出すアイデアを兄弟たちに出しました。創世記37章26節~27節「すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠しても、何の得になるだろう。さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが手をかけてはいけない。あいつは、われわれの弟、われわれの肉親なのだから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。」ユダはねたみと軽蔑を持っていた人でした。しかし今、ユダは家族を救うために、兄弟を助けるために、エジプトへ行く責任を負いました。

2)ユダは責任を忠実に果たす。ユダは約束を守りました。どのように、ユダが責任を果たしたか、今は詳しく言いませんが、彼は約束を守りました。そして、ユダの忠実さは称賛されます。ヤコブが亡くなる前、彼は兄弟たちを祝福します。ユダに対しても、特別な祝福を授けました。創世記49章10節「王権はユダを離れず、 王笏はその足の間を離れない。 ついには彼がシロに来て、 諸国の民は彼に従う。実は、ユダの子孫はダビデ王であり、イエスの父のヨセフはユダの血筋です。ユダは忠実であったため、彼と彼の子孫は祝福されました。

ユダは完璧な模範ではありませんが、ユダに倣い、私たちは神に委ねられた責任を忠実に果たすことはできるでしょうか?1)神が私に与えられた責任とは?2)責任を忠実に全うする。

1)神が私に与えられた責任とは?聖書の中には、神から責任が託された人物の例がたくさんあります。ノアは方舟を建設する責任が与えられました。もちろんヨセフはポティファル、そして次にエジプトを治める責任が与えられました。ソロモン王は神殿を建設する責任。そして、イエスは究極的な模範です。イエスは天におられる神の御計画を果たす役割が与えられました。聖書の中に出てくる人々に、神は一人一人重大な責任を託します。

まず最初に神があなたに託した責任を意識しなければいけません。あなたが負っている責任とは何でしょうか?少し考えて見ましょう。あなたのクリスチャンとして責任とは何でしょうか?キリストの弟子として歩むこと。神の戒めに従うこと。光の子として、悪と闇を解き明かすこと。家族としての責任とは?子供、両親、孫、ひ孫を支え、神のみことばと真理を分かち合う。夫婦としての責任とは?互いの意見を敬い、互いを支え合い、互いの信仰を築き合う。親としての責任とは?子供を養う。子供に神の戒めを教える。教会のメンバーとしての責任とは?教会をともに立て上げる。従業員としての責任?誠実に、正直に働く。軍人としての責任?国を守る。任務を果たす。神はあなたに特別な役割を託しておられます。

さらに、ユダと同じように、新しい責任を備えておられるかもしれません。ユダと同じように、その責任から隠れず、勇気を持ってその責任を引き受けることをあなたへ語りかけているかもしれません。新しい責任を負うことはとても難しいことです。自分の実力をよく疑ってしまいます。「私には難しい」「私には力が無い」。しかし、神があなたをその責任を託しておられるのなら、その責任を果たすことができるために、必要なものを与えてくださらないでしょうか?知恵、力、才能を豊富に与えてくださるでしょう。

4年前、私は神学校から卒業したばかりでした。この教会で勤めて牧会をすることに対して、自信満々ではありませんでした。しかし、その最初のワンステップを前に進むと、「やる」と決断すると、神は私のことを助けて、導いてくださいました。もちろんわからないこともありました、不安な時もありました。しかし、神は全て必要なことを備えてくださいました。新しい仕事でしょうか?新しい試みでしょうか?新しい決断でしょうか?神は必要なものを確かに授けてくださるでしょう。ユダと同じように、「私たちは行きます。私自身があの子の保証人となります。私が責任を負います。」と勇気を持って宣言することができますように。神はあなたが新しい召し、新しいミッションを受け取り、従うことを待っておられるかもしれません。その新しい責任を自分のものにして負いましょう。

2)責任を忠実に全うする。私はシカゴにある、トリニティーという新学校を卒業しましたが、たくさんの素晴らしい博士や先生に出会い、とても祝福されました。今でも、深く印象に残っている先生が二人います。一人はカーソン博士でした。世界的に有名な神学者、聖書学者ですが、授業で一番覚えていることは、彼の聖書と神学の知識ではなく、彼の信仰、そして親として信仰中心な家庭を築く志しです。聖書を学ぶことは、神秘的な知識を得ることではなく、社会から隔絶することではなく、人を神の愛によって生かす、家族を神の戒めによって生かす、社会を神の義によって生かすことなのだ、と学びました。

もう一人はオズボーン博士でした。オズボーン先生も数え切れないほどの本を出版し、世界に知られている聖書学者ですが、一番覚えているのは、彼の最後の授業でした。彼は1977年から2016年まで39年間トリニティー新学校で教え、2016年、私は彼のキャリアの一番最後のクラスに出席することができました。感動的でした。先生はお年寄りだったので、杖を使って歩いていました。このクラスは夜のクラスで、シカゴの寒い寒い冬の夜でした。地面が凍ってしまうので、とても危なかったですが、先生は毎回喜んで授業を行いました。そして、その2年後にお亡くなりになりました。責任を忠実に全うされました。

責任を忠実に全うするのに必要なのは、まず最初に神の知恵を求めることです。わからないことがあったら、神の知恵を求める。決断することが難しいとき、神の知恵を求める。もう一つ不可欠なことは忍耐です。責任を負うと、新しいプレッシャーやストレスが発生します。失敗してしまうと、人に批判されると、自分の実力を疑ってしまいます。すぐにギブアップしたい思いが頭に浮かびます。

夫婦関係が難しい時、子供との関係が難しいとき、仕事が難しいときでも、そこにはあなたに与えられた責任があります。神の知恵を求めつつ、責任を全力で全うできるように、神に助けを求めましょう。責任を全うすると祝福があります。ユダが約束を果たしたことによって、彼と彼の子孫は祝福されました。責任を全うすると、家族は祝福されます。教会は祝福されます。