日曜メッセージ:「過去に捕らわれる時」(創世記42章1節〜38節)

聖書箇所|主と歩む:過去に捕らわれる時

タイトル|創世記42章1節~38節

北京オリンピックを見ている方はいらっしゃるでしょうか?スノーボーディングのハーフパイプの金を獲得した、平野歩夢選手は感動的でした。Shaun White選手は残念でしたね。フィギャアスケートのNathan Chen選手と鍵山優真選手の演技はお見事でした。北京オリンピックを見ていると、冬と雪が恋しくなりますね。恋しくなりますが、やっぱりハワイの気候が一番ですね。

今までのヨセフのお話の復習です。ヨセフはファラオの夢を好意的に解釈し、ファラオはヨセフのことをエジプトの国のトップに置きました。ヨセフにはファラオの家とエジプトの民を治める権威が与えられます。一時は、奴隷、囚人であったヨセフ、一番低いところにいたヨセフは一番高いところに置かれました。ヨセフはファラオの夢を解釈した通り、地で穫れた七年間の食糧をことごとく集めました。収穫の7年が終わると、7年の飢饉が始まりました。この飢饉は全世界を及び、ヨセフの故郷、カナンの地まで広がりました。そこには、ヤコブと兄弟たちがまだ住んでいました。

創世記42章6節~24節

ヨセフの兄弟たちは過去の出来事に捕らわれています。ヨセフの兄弟たちはおよそ20年前にヨセフのことを奴隷として外国人に売りました。20年が経っていますが、兄弟はその罪により、苦しみ、後悔しています。あなたも、過去のことに捕らわれていらっしゃるでしょうか?心の中に過去の出来事に関して、恥、後悔、罪悪感を持っていらっしゃるでしょうか?その過ちの影響により、親との関係、子供との関係、親戚との関係が難しくなってないでしょうか。今日は皆様と、過去の過ちや罪から解放される方法を分かち合いたいと思います。罪悪感、後悔、恥、裁きから去り、赦し、平安、喜びをイエスを通して受け取る方法を学びましょう。

ヨセフの兄弟たちは過去の罪に捕らわれている。1)罪は深刻な結果をもたらし、害を及ぼす。2)罪によって罪悪感にさいなまれる。

1)罪は深刻な結果をもたらし、害を及ぼす。ヨセフが兄弟たちが回し者であると疑い、一人の兄弟を牢屋に残し、他の兄弟はカナンへ戻り末の弟を連れてきなさいと命じた時、兄弟はこう言いました。創世記42章21節~22節「彼らは互いに言った。「まったく、われわれは弟のことで罰を受けているのだ。あれが、あわれみを求めたとき、その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。それで、われわれはこんな苦しみにあっているのだ。ルベンが言った。「私はあの子に罪を犯すなと言ったではないか。それなのに、おまえたちは聞き入れなかった。だから今、彼の血の報いを受けているのだ。」

私は小さい頃良く祖母に、悪いことやいたずらをしたら罰が当たるよと言われたことを覚えています。悪い言葉を言うと、足をつまづく。妹をいじめると、誰かにもっといじめられる。あなたも子供の頃、誰かにそう言われたことはあるでしょうか?それは実際そうなのでしょうか?神は悪い行為を見て、即座に罰せられるのでしょうか?私たちは神がどのような方法、タイミングにより罰するのかはわかりませんが、私たちにわかることは、罪は深刻な結果をもたらすことです。

ヨセフの兄弟たちの行為を考えると、彼らの罪は深刻な結果をもたらしました。ヨセフのお話を読むと、ヤコブは愛する息子を失ったことをいつまでも悲しんでいることがわかります。家族もいつも悲しんでいたでしょう。そして、兄弟たちは何年もずっとヨセフにしたことを父から隠し、罪の意識にさいなまれていたでしょう。

池に石を投げると水面に波紋ができますね。石の大きさにより、波紋の形と長さが変わります。罪は同じような結果をもたらします。その影響は目に見えないときと、目に見える時があります。しかしどちらにしても、罪は混乱をもたらし、害をもたらします。罪の悪影響とは何でしょうか?三つを紹介します。1)他人。2)神。3)自分。

1)他人。罪が人を傷つけることは明白です。人から盗むと、人に怒鳴ると、嘘、悪口を言うと、言われた人は傷ついてしまう。その傷ついてしまう人は友人かもしれません、配偶者かもしれません、子供かもしれません、教会の兄弟姉妹かもしれません。その罪の影響で、大切な人間関係の信頼を失うかもしれません。ひどい場合は、関係が決裂してしまうかもしれません。

2)神。罪に一番苦しめられるのは神です。罪は神に反する行為であります。想像してみてください。自分の子供に嘘をつかれたら、子供に反抗されたら一番傷つくのは親ですよね。神の子供である私たちが神の教えと戒めを無視し、神の愛を軽視すると、一番傷つくのは神です。この結果は目に見えないから、感覚、意識がなまってしまうことがあります。しかし、イエスはあなたの罪のために、大きな罪、小さな罪のためにご自分の血を流されました。だから罪に一番苦しめられるのは神なのです。

3)自分。『「罪 」は他人を傷つけ、神を悲しませるが、同時に自分も蝕む。』罪は自分の心にも結果をもたらします。罪は平穏な池の水面であるあなたの心を混乱させます。特に、心に残っている罪、心の底に秘められた罪。このような罪は心を蝕みます。心を苦しめます。心は恥、後悔、罪悪感で悩みます。

ガラテヤ6章7節~8節「人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」

2)罪によって罪悪感にさいなまれる。ヨセフの兄弟たちは真実を父に語りませんでした。彼らは20年間も罪を秘めていました。苦しかったでしょう。毎日ヨセフのことが頭に浮かんだでしょう。父と話すたび、ヨセフのことが頭に浮かんだしょう。拷問だったでしょう。ルベンが語ったことが響きます。「私はあの子に罪を犯すなと言ったではないか。それなのに、おまえたちは聞き入れなかった。だから今、彼の血の報いを受けているのだ。」なぜ私はあの時に、私の兄弟を止めなかったのか。後悔と罪悪感がこもった発言です。

あなたも同じようなことを思っているかもしれません。あのとき、なぜ私はあれを言ったのか。あのとき、なぜ私はあれをしたのか。後悔にさいなまれているかもしれません。罪悪感にさいなまれているかもしれません。そのような時、どうしたら良いのでしょうか?自分の力では解放することはできません。神の恵み、神の赦しのゆえに、解放を得ることができます。

罪からの解放。1)罪を意識する。2)罪の告白と赦し。

1)罪を意識する。罪の意識をまず持たなければいけません。わたしの経験では、アメリカ人は罪という意識をよく持っています。アメリカ人に「あなたは罪を持っています」と言うと、それを自然に理解します。しかし、日本人に「あなたは罪を持っています」と言うと、抵抗があります。抵抗よりも、気づかない、何の話をしているのかわからないかもしれません。過去にこんな会話をしました。私は、一人の女性に人は罪人であることを必死に教えようとしましたが、全然理解してくれませんでした。彼女は「私は良い人生を迎えてきた」「私は大きな罪を犯したことはない」と答えました。少し視点を変えて、私が子育ての話をし、子供は言うことを聞かないから、かっとし、どなってしまったりする時がありますねと言ったら、それには同意してくれました。

やはり、一般の人にとっては、罪はニュースで出てくる言葉、罪イコール犯罪、詐欺や殺人だという考え方があります。しかし、聖書による罪は神の視点から見なければいけません。罪は目に見える悪い行為だけではありません。それだけでなく、神へ害を加えること、神を傷つけること、神に反することです。人間は誰もが罪人であり、罪を持っています。

もちろん、キリスト者でも罪を持っています。しかしキリスト者は、その罪を神のみ前に出し、赦しを求めます。神へ聞いてみましょう。「私はあなたの御前で聖なる者になりたいです。私の心の中にある罪を明らかにしてください。」聖霊はあなたの罪を明らかにしてくださるでしょう。

2)罪の告白と赦し。ここで皆様へ質問です。皆様はゴミをどのくらいの頻度で捨てますか?ゴミ箱にたまるゴミを週に何度捨てますか?ゴミは人生で一度だけ捨てる者ではありませんよね。ゴミは日々すぐにたまります。ゴミを捨てず、ゴミがたまると家中が臭くなってしまいます。虫、ハエ、ウジがわいてしまいます。気持ち悪い気分になってしまいます。健康にも悪影響があるかもしれません。

ある神学者はこう言いました。「罪を思い出し、告白することは、ゴミ出しのようなもので、一度では十分ではありません。」クリスチャンになることは、イエスのことを救い主として、主として信仰を告白し、罪の赦しを心に留めます。その告白により、全ての罪が赦され、あなたは雪のように白くなり、純潔になります。しかし、時間が経つと、私の心の中にまだ罪がある、私の行動の中に罪がある、私の考えの中に罪があることに気づきます。私たちは人間なので、罪を犯す傾向は生まれつきの性質です。罪が許されても、また新しい罪を犯してしまう。罪はゴミのように、一度だけ捨てるものではありません。一度では十分ではありません。新たな罪はまた神へ告白し、キリストの血による赦しを認めなければいけません。

ゴミと同じように罪を捨てなければ、罪は心の中にたまってしまいます。ゴミが家中を臭くしてしまうように、告白されていない罪はあなたの信仰生活に影響をもたらします。神との距離を広げてしまいます。信仰が弱ってしまいます。神の赦しの約束を心に留めましょう。第一ヨハネ1章9節「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」

神へ罪を告白しても、まだ罪悪感が残っている、まだ後悔が残っている、まだ悩みが残っている場合、互いに罪を語りましょう。ヤコブ5章16節「ですから、あなたがたは癒やされるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。」