日曜メッセージ:「勝利!」第一コリント15:23–28
「勝利!」— 第一コリント15:23–28
1. 復活には順序がある(23節)
人の列に割り込む人、車の割り込み…
イエスが最初に復活されました。そして、次は私たちの番です。神のタイミングは混乱ではなく、意図的で完璧な計画です。
パウロは、復活はランダムではなく、特定の順番で起こると言っています。
ここで使われている「順序(τάγμα / tagma)」というギリシャ語は、軍隊の隊列・秩序・決められた配列というニュアンスがあります。
最初に、イエスが死から復活されました。
彼は「初穂」と呼ばれます。
ラザニアのチーズ
旧約聖書(レビ記23:10–11)では、「初穂」は収穫の最初の部分を神にささげるものでした。
これは、「本格的な収穫がこれから来る」というしるしでした。
つまり、イエスの復活は、信じる者すべての復活が続くという保証なのです。
イエス様が復活された日は、「初穂の祭り(はつほのまつり)」の日と一致しており、これは非常に深い霊的な意味を持っています。
初穂の祭りは、過越の祭りの後の安息日の翌日(日曜日)に行われました(レビ記23章9~14節)。つまり、過越の週の日曜日にあたります。
福音書によると、イエス様は週の初めの日(日曜日)に復活されました(マタイ28:1、マルコ16:2、ルカ24:1、ヨハネ20:1など)。
つまり、イエス様の復活は「初穂の祭り」の日に起こったと理解できます。
パウロもこのつながりをコリント人への手紙第一15章20節で明確にしています。
この一致は偶然ではなく、初穂の祭りの預言的な成就です。初穂の捧げ物は、最初で最良のものを神にささげると同時に、その後に続く豊かな収穫を期待する象徴でした。イエス様は**復活の「初穂」**であり、イエスに属する者たちもまた復活するという希望の保証です。
次に、イエスが再び来られるとき、キリストを信じるすべての者が復活します。
私たちは、決して死ぬことのない、新しく栄光ある体を受けるのです。
これは、神のご計画が次のようなものであることを教えてくれます:
霊的なものだけでなく、物理的(身体的)なものも含む。
混乱ではなく、秩序がある。
不安定ではなく、希望に満ちている。
適用: 人生が不安定に感じるときでも、神のタイミングを信頼することができます。
2. 栄光に満ちた終わり(24–26節)
「それから終わりが来て、キリストは王国を父なる神に引き渡されます…」
ここで言う「終わり」は、物語の終了ではなく、歴史の完成です。
すべてが正され、すべてが本来あるべき姿に回復される時です。ドラマが終わっても、まだあるの?
最後に、イエスは御国を父なる神にお渡しになります。
イエスは永遠にご自身の権力を握るのではなく、それを手放して父にゆだねられます。
これこそが、イエスが**仕える王(サーヴァント・キング)**であることの現れです。使命を成し遂げ、父をあがめるためです。
しかしその前に、イエスはすべての敵の力を滅ぼされます。
すべての悪、不正、傲慢、霊的闇は敗北します。
「終わり」は、信じる者にとっては恐ろしいものではありません。
むしろ、美しく、力強く、良いものなのです。
イエスが勝利し、悪が敗北する。そして、すべてが完成したとき、イエスはすべてを父に愛と完全な一致の中でお返しになります。
「…すべての支配、権威、権力を滅ぼした後で。最後の敵として滅ぼされるのは死です。」
キリストは、神に敵対するあらゆる力(罪、サタン、死)を積極的に打ち破っておられます。
死は今もこの世に存在しますが、すでに終わりが宣言されています。
キリストが御国を父に渡す前に、すべての敵が滅ぼされます。
パウロはこれらの敵を「支配、権威、力」と呼びます。
これは、悪しき霊的存在、腐敗した人間の制度、または神に反するすべてのものを指すと考えられます。
イエスは受け身ではありません。今も積極的に悪を打ち砕いておられます。
現在もイエスは支配しておられますが、やがてその勝利は全世界に明らかになります。
**最後に滅ぼされる敵は「死」**です。
今も死は存在しますが、それは永遠ではありません。
キリストが再臨されるとき、死は完全に敗北します。
適用:私たちは、壊れた制度や本物の悪が存在する世界に生きています。
しかし、キリストは今も支配しておられ、どんな敵も永遠には続きません。
3. 御子は御国を父にゆだねる(27–28節)
「そのとき、御子ご自身も…御父に服従されます。それは、神がすべてにおいてすべてとなるためです。」
キリストはすべての敵に打ち勝った後、すべてを父なる神にお返しになります。
これは価値を失う降伏ではなく、使命の完成です。
イエスは完全な神ですが、父の御心に従うことを選ばれました。
これは、三位一体の完全な一致と、父なる神の栄光を表しています。
「神がすべてにおいてすべてとなる」とは、天地すべてが神のご臨在と平和で満たされることです。
いつかすべての存在が、神の支配・ご臨在・栄光を完全に映し出すようになります。
罪も抵抗もなくなり、すべてが神の善に満たされます。
復活の順序に生きる
私たちは、「キリストの復活」と「最終的な勝利」の間に生きています。
キリストはすでに復活し、今も王として支配しておられます。
そしていつか戻って来られ、死を打ち倒し、すべてを父にお渡しになります。
「すでに」そして「まだ」
神の御国はイエスによってすでに来ました。しかし、まだ完全には現れていません。
例えるなら、夜明けのようなものです。空は明るくなってきましたが、太陽はまだ完全には昇っていません。
「すでに」
イエスはすでに、罪、サタン、死に対する勝利を得ておられます(コロサイ2:15)。
聖霊はすでに与えられており、新しい創造の始まりとなっています(使徒2章)。
私たちはすでに赦され、神の子として迎えられ、キリストにあって新しくされた者です(Ⅱコリント5:17)。
神の御国はすでにここにあり、イエスが主として認められているところに御国は存在します(ルカ17:21)。
「まだ」
私たちは今も堕落した世界に生きており、罪、苦しみ、病、死があります。
私たち自身の復活はまだ起きておらず、新しい栄光の体を待ち望んでいます(ローマ8:23)。
イエスの支配は本物ですが, 世界中の人々にまだ完全に現れているわけではありません(ヘブル2:8)。
最終的なさばき、新天新地、悪の完全な滅びは、将来に起こる出来事です(黙示録21章)。
どう生きるか:希望・信頼・勇気・目的
希望 – Hope
苦しい時でも、私たちは物語の結末を知っています。
この希望は逃避ではなく、変革の希望です。神はすべてを新しくしようとしておられます。
イエスがすでに勝利しておられるからこそ、確かな希望を持てます。
「私たちは、この希望を魂のためのいかりとして持っており、それは確かで揺るがないものです。」(ヘブル6:19)
信頼 – Trust
神のタイミングは完全です。
神のご計画には秩序と目的があります。
理解できない時でも、神が御子をよみがえらせた方であることを思い出し、信頼して委ねるのです。
勇気 – Courage
キリストは今も王として支配しておられます。
悪が残っていても、その力はすでに破られました。
私たちは恐れることなく、勝利の側に立って歩むことができます。
目的 – Purpose
私たちは神の大きな物語の一部です。
信仰、働き、礼拝――すべてが意味を持っています。
他者に仕え、福音を語り、悪に立ち向かうとき、私たちはキリストの御国の市民として生きているのです。