日曜メッセージ:「喜ぼう!」ピリピ1章1節〜11節

聖書箇所:ピリピ1章1節~11節

タイトル:喜ぼう!Rejoice!

人生の中で喜んだ時を覚えていますでしょうか?過去のことを思うと、私が子供の頃、一番喜んだ時は幼稚園の時でした。毎年、クリスマスの時には幼稚園で、親が子供にプレゼントをあげるという行事がありました。ほとんどの親は子供に、ゲームやラジコンの車をあげていました。私の親は質素だったので、手作りの世界地図をくれました。すごく大きい、カラフルなスタイロフォームで作られた地図で、手書きで世界の国や有名な所が描いてありました。

正直に言いますと、まず最初は他の子供たちのプレゼントと比べてショックを受けて、すごく恥ずかしかったことを覚えています。見た目はあまりなものだったので、怒りました。家に帰る途中、車の中で文句を言いましたが、家に帰ると、私はすごく地図を気に入り、喜びました。それから何年も経ちますが、地図はまだ実家に貼ってあり、親が頑張って作ってくれたことに感謝しています。最近、娘が笑ってくれるようになりました。他の子供と比べると全然笑ってくれるので、本当に幸せです。

残念ながら、周りを見回すと、喜びだけではなく、絶望や恐怖の方が多い感じがします。ニュースを見ると恐ろしい事件が多く、本や映画は惨事ばかりです。喜びより、不満や不機嫌になっている人々は多いですよね。実在する大きな喜びは滅多に見ません。この前にも、ウィスコンシン州でクリスマスパレードで恐ろしい事件が発生しました。子供も含めて六人の犠牲者が出ました。

新しいシリーズ。今日の聖書箇所はピリピ人への手紙1章1節~11節です。「喜び」という言葉はこの短い手紙の中で16回も使われています。筆者パウロはイエスが源である喜びを「喜んでいます」、「喜びなさい」と言います。「最近、全然喜ぶ気がしない。不安と不満ばっかりで喜べない」と思う方にこのクリスマスシーズン、イエスが源である喜びを持って、クリスマスを迎えましょう。

三つのポイントです。1)喜びの源:神の愛。2)喜びの源:コイノニア。3)喜びの源:イエスの誕生。

1)喜びの源:神の愛。クリスチャンの独特の印は喜びです。喜びはクリスチャンを象徴します。この喜びは神が変えられた、私たちの心からわき溢れます。喜びは神に対しての反応です。神が私たちを愛してくださり、祝福してくださったことを通して、喜びの思いが起こされます。

私たちの喜びの源は主です。主は毎日、私たちを祝福してくださっています。主は毎日、私たちを支えててくださっています。主は毎日、私たちを愛してくださっています。主の素晴らしいみわざ 、主の絶えない臨在のことを考えると、私たちの心は喜びます。私たちの喜びの理由は主です。

主にある喜びは、どんな状況にも関わらず、主がいつもそばにいてくださること、主の臨在があることに確信を持つことから始まります。どんなことがあっても、主は絶対にあなたのことを見捨てません。絶対にあなたのことを忘れません。それは、あなたが主の尊い子供だからです。親が子供を危険から守るため、いつも目を離さないのと同じように、私たちをいつも見ていて、危険から守ってくださいます。

喜ぶ機会が与えられたら、心を尽くして主に喜びましょう。心から「神様、ありがとう」と宣言しましょう。誕生日でしょうか?結婚記念日でしょうか?就職が決まりましたでしょうか?病院から退院することができたでしょうか。それとも毎日の小さいことでしょうか。そんな時は天を向いて、何に遠慮することもなく、心から大きく、神に感謝を捧げましょう!

2)喜びの源:コイノニア。最近ネットフリックスにある、「日本沈没」というドラマを見ています。関東沈没、そしてさらに日本列島の沈没の懸念の中で 各省庁の優秀な若手を集めた「日本未来推進会議」が携え日本の国民のために尽くします。

何か大きいことをするときには周りの協力が必要になってきます。仕事のプロジェクトもそうですし、教会の行事もそうです。良いものを作り上げる時には、人の協力が必要になってきます。

同じように、神が私たちに召された教会と御国の働きは、一人で行う働きではありません。神が私たちに召された働きは互いの協力が必要です。ピリピ1章3節~5節「私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。」他の聖書ではこのように訳されています。「それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。」福音を伝える、広めるために共にに携ること、あずかること、これはどう言う意味なのでしょうか?

共に携わる、与るという言葉はギリシャ語でコイノニアという言葉が使われています。この言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、この言葉は交わる、親愛を持つ、関与するという意味です。英語に訳すると「フェローシップ」になります。聖書による交わりというのはただ集まって楽しいときを過ごすわけではありません。聖書による交わりは共に深い関係を持つこと、共に信仰をもっと豊かにすること、神の働きにあずかることです。

パウロはピリピ人の信者たちを福音の協力者、同僚と呼ぶことで、彼らの働きの貴重さ、重要さを表しています。パウロは彼らの助けと支えがなければ、福音の働きが進展しないことを知っていたのです。この手紙の最初の部分、1章1節~11節ではパウロはピリピの信者を福音の協力者として感謝して、彼らの信仰が強められることを願っています。

福音の働きというと、まず最初に入ってくるイメージは伝道と宣教かもしれません。福音を共に携わる事は福音を宣言する、神の愛を分かち合うという意味もありますが、同時に福音の働きというのは、この箇所によると、交わる、親愛を持つ、関与するという意味もあることがわかります。私たちはコイノニアがあるからこそ、共に喜ぶことが出来ます。

3)喜びの源:イエスの誕生。ピリピ1章9節~11節「私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。」今年のクリスマス、一番大切なことであるイエスのご誕生を心に留めて、クリスマスの祝いの中心にすることができますように。約2000年前のある暗い夜、神のみ使いが羊飼いの前に現れ、神の栄光が地を照らしました。このみ使いは良い知らせを告げました。この良い知らせとは、この世にあるすべての良い知らせの中で一番優れているもので、私たちに大きな喜びをもたらす知らせです。

イエスは天から、快適な場所から降りて、人々の間に住まわれ、私たちと同じような生活をされました。イエスは神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられ、ご自分を空しくして、人間の姿、しもべの姿を取られました。

そして彼は、心の傷ついた者を癒すために来られました。イエスはあなたのことを心から愛されているので、あなたの傷に、丁寧に包帯して癒してくださいます。どんな傷であっても、イエスに癒すことができない傷はありません。あなたのことを哀れみ、癒しと慰めを注いでくださるのです。

さらに、彼は捕らわれ人と囚人に解放を告げます。心が捕らわれている人、霊的に捕らわれている人、恐怖に捕らわれている人、孤独に捕らわれている人、罪に捕らわれている人に解放と自由を与えてくださいます。何かに、足かせをかけらているように感じている方、イエスは私たちのことを全ての束縛から解放してくださいます。