日曜メッセージ:「ふたりは一体」エペソ5章22節〜33節

聖書箇所:エペソ5章22節~33節

タイトル:ふたりは一体

神の家族のシリーズを通して、教会のことに注目してきましたが、今日と来週のメッセージはキリストにある家族、家庭、夫婦関係、子育てに注目したいと思います。エペソ人への手紙の中で、話はパウロは教会でのキリストにある兄弟姉妹との関係の在り方から家族関係の在り方に移ります。

良い家族関係、夫婦関係の形と言えば、皆様は何をイメージされるでしょうか?私たちはテレビ番組に影響され、「これが普通の家族構成や関係なんだな~」「これが正しい夫婦関係なんだな~」と考えたりすることがあります。または、ずっと見てきた自分の親の関係、自分が育った家庭環境を考える方がいらっしゃるかもしれません。その私たちが見てきた、経験してきた家族関係、夫婦関係には、良いところもあり、そしてまた改善すべき所もあるでしょう。

しかし、キリスト者として、私たちの模範となる良い家族の形、正しい夫婦関係は聖書から学ぶことができます。そしてそれこそが、神が喜ばれる、正しい家族の形です。私たちは神が喜ぶ家庭を築き上げることで、神の大いな祝福と恵みがますます注がれます。逆に、神のみ言葉を無視し、自分の考えや思いを中心にして築き上げると、どうでしょうか。私たちは家族を、揺るがない土台である、み言葉の上にたて上げることの大切さを皆様と考えたいと思います。

アメリカでは二組に一組が離婚、日本では三組に一組が離婚しているという統計もあります。ほとんどの場合、人間の悩みの原因は家族関係。家族の中で調和と一致が保たれれば大きな祝福と喜びに繋がります。ハッピーワイフ、ハッピーライフはただの冗談ではありません。私たちは、力を尽くして、神が喜ぶ家庭を築き上げましょう。この箇所は夫婦、子供のいるファミリー、そして親戚関係にも適用します。

聖書による、夫婦関係の三つの築き方:1)互いを敬い合う夫婦関係。2)自分の夫に従いなさい。3)自分の妻を愛しなさい。

1)二人が一体となった夫婦関係。私は6年前に結婚しましたが、育った環境や、バックグラウンドが違う二人が一体になることは、なかなか考えられませんでした。私たちは同じ神戸で育ちましたが、それでも全然違います。しかし神様だけが、全く違う二人の人を、結婚を通して一つにされます。自分の結婚生活のことを考えると、日々、一体になるということを学んでいます。一体になるということは、二人が全く同じになるということではありません。二人が一つとして調和する、調和した関係を築き上げるということです。実際、結婚生活の中では、意見が違ったり、ぶつかったり、個性の違いからチャレンジがあるでしょう。でも、二人が一体となり、調和すると、ますます大きい神の祝福があります。

エペソ5章31節「 それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」この箇所は創世記2章24節から引用されています。神は世の初めから男と女の結婚というものを定められました。二人が一体になることは聖なる結びつきです。「結びつき」というヘブル語には「のり付けする」という意味が含まれています。二枚の紙を接着剤でくっつけると、はがすことは不可能です。決して離れることはありません。まさに、一体となるのです。張り付いている、二枚の紙を剥がしてらどうなるでしょうか?どんなに丁寧に剥がそうとしても、ビリビリに破けてしまいます。夫婦も同じです。

二人が一体となった夫婦が引き離されると、両者ともビリビリに破れ傷つきます。それを避けるために、夫婦はお互いの力を尽くして、聖なる結びつきを保たなければなりません。皆様もお気づきの通り、神様が結びつけたものでも、最初から何も問題なく、全てがうまく行くわけではありません。色々なプレッシャーや、自分の欠点など、その結婚の結びつきを引き離そうとするもの、壊すものはたくさんあるので、夫婦は神に力と知恵を求めて、全力で関係を守り、保つ必要があります。

2)自分の夫に従いなさい。エペソ5章22節「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。」今日の箇所はいきなり、「従いなさい。と始まります。人によってさまざまなリアクションがあるかもしれません。この箇所を理解するためには、キリストの愛とキリストの救いの視点から見なければいけません。妻は夫より下の立場にあるわけではありません。妻と夫、どちらも神に愛され、神の御前では尊い存在です。

昔はほとんどの家庭の中で夫がリーダーで強い立場にあり、妻と家族を養う、というのが普通のイメージでした。しかし今の世界を見ると、男女の平等化はどんどん進んでいます。夫婦の共働きは普通になり、夫も妻も同じように稼ぎ、家に帰ると同じように家事や育児をこなすという家族も多くいます。よく、聖書は約2000年前に書かれた物なので、「私たちの社会には適用しないのではないか?」と聞きます。実際、聖書は2000年前に書かれた書物ですが、神の真理は全ての時代と社会的状況を超越し、変わりません。パウロは女性の人権がほぼ無かった時代に「夫はキリストのように、妻を愛しなさい」と書きました。これは、当時の社会では信じられない発言でした。

神は夫も妻も同じように愛しておられます。しかし、家庭の中での霊的リーダーは夫であり、妻は霊的に夫に従うように教えています。エペソ5章23節「キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。」「従う」という言葉を考えたいと思います。これは、完全に服従するということ、完全にコントロールされ、自分の意思が持てない、という印象に聞こえるかもしれません。そして妻が家にいて家事、子育てをして、夫や家族に仕える、という印象もあるかもしれません。でもそうではなくて、従う、というのは夫の霊的リーダーシップに従う、という意味です。家庭の中で夫がかしらであることは、夫が霊的なリーダーであることです。夫は家族を霊的に成長させ、聖なるものとして、神に捧げます。

3)自分の妻を愛しなさい。エペソ5章25節「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」夫たちよ、アガペの愛を表して、キリストと同じようにあなたの妻を愛しなさい。犠牲的な愛を持って、自己を捨て、全てを尽くしてあなたの妻を愛しなさい。キリストは教会である私たちをどのように愛されたでしょうか?キリストの愛は寛容であり親切です。キリストの愛は人をねたみません。愛は自慢せず、高慢ではありません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めません。不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。暴君的な態度、圧制的な態度は聖書の教えと異なります。夫はキリストを模範とした霊的リーダーであり、独裁者ではありません。

お互いの意見を尊重し、大きな決断はふたりでする。コミュニケーションは第一です。妻が話す時には集中して聞きます。私もまだ学んでいる所ですが。

夫にとって一番大切な役割はお金を稼ぐことではありません。夫の一番大切な役割は家庭をきよめて聖なるものとすることです。エペソ5章26節~27節「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」夫はみ言葉を家庭を満たします。そして、妻と子供の信仰を養い、聖と義を家庭内で築き上げます。

あなたは人のことをどこまで変えることができるでしょうか?実のところ、配偶者を変えることはできません。子供を無理やり変えることはできません。親戚の考え方を変えることはできません。あなたが変えることができるのは、自分自身だけです。まず最初に自分を変えてみましょう。キリストのように愛しましょう。夫は、キリストのように犠牲的に妻を愛し、妻に仕えましょう。妻は、キリストのように、夫を敬いサポートしましょう。また親戚をキリストが愛されたように愛しましょう。神の愛と恵みを自ら表すと、あなたの周りにいる人はその変化を見て、自然と変わっていくでしょう。

私たちはキリスト者として、神が私たちに与えてくださった関係を守り、保たなければいけません。夫婦関係でしょうか?夫婦の結婚と聖なる誓約を守り、保たなければいけません。子供との関係でしょうか?子供との関係、親戚との関係、仕事場での関係の中で、キリストの愛と恵みを反映します。

if you want to change the world, go home and love your family「世界を変えたければ、まず家に帰って家族を愛しなさい」