日曜メッセージ:「どんな境遇にあっても」ピリピ4章10節〜13節

聖書箇所:ピリピ4章10節~13節 

タイトル:どんな境遇にあっても In Every Situation 

あっという間に2021年の最後の礼拝ですね。2021年を振り返ると、皆様どうでしょうか?一人の友人は、「2021年は早く終わってくれないか」と言っていましたが、「早く2022年になって、新しい年を迎えたい」と思っておられるでしょうか?2021年は最高な年だったと言う方は中々いらっしゃらないと思います。辛かった、厳しかった、大変だったと言う方の方が多いのでは無いでしょうか。私もそうです。

2021年は大変でした。精神、体、心がブレイクダウンしてしまうと思った時もありました。今考えると信じられませんが、今年の2月、私は按手礼を受けました。5月に妹が結婚式をあげました。そして、6月に娘が生まれて、一気に走り抜けた一年でした。皆様はいかがでしょうか?愛する人を失ったかもしれません。病を患ったかもしれません。生活に大きな変化を経験されたかもしれません。そしてもちろん神の祝福や良いこともあったでしょう。

しかし、新型コロナウイルスのパンデミックは続き、経済や生活がたくさんの面で影響を受けました。私たちが生きている混沌として、いつも変わる世の中、不安定な日常生活の中でイエスの弟子として歩むこと。どうしたら、ありとあらゆる境遇にあっても、満足と平安を持つことできるのでしょうか?今、あなたはキリストにある満足、平安の中にいらっしゃるでしょうか?

三つのポイントです。1)状況は変えられなくても、心は変えられる。2)満足する秘訣:イエスキリスト。3)満足イコール平安。

1)状況は変えられなくても、心は変えられる。人生は自分が思っているようにはなかなか進みません。計画があっても、プランがあっても、その通りには行かない。生活が安定していると思っていても、すぐにハプニングが発生し、混乱してしまう。人生にはアップダウンがあります。私は2021年を改めて考えると、自分では人生をコントロールすることはできないことが明白になりました。パンデミックもそうですよね。

どうしても変えられないこと、自分のコントロールの外にあることはたくさんあります。病を患うこと、災害や事故、老化、予測できない出来事。シチュエーション、状況を変えることはなかなかできません。指をパチンとして、状況を変えることはできません。しかし、あなたは自分の心と態度を変えることはできます。

パウロは宣教師として、初代教会の使徒として、様々な経験をしました。パウロの人生は厳しいものでした。ピリピ4章11節「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。」パウロは福音のために尽くし、想像できないほどの苦労をしました。第二コリント11章によると、パウロは自分の民族であるユダヤ人からムチを受け、ローマ人からもムチを受けました。

さらに、パウロは石で打たれ、船が沈み、海上を漂ったこともありました。川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、 苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。ほかにもいろいろなことがありましたが、それプラス日々パウロにとって重荷になっていたことは、すべての教会への心づかいでした。

パウロにとって、そして私たちにとって変えられないことは、主に三つあります。一つはトラブルです。パウロは船が沈んだり、盗賊に会いました。人生の中ではたくさんのトラブルに直面します。多く場合、トラブルは突然発生します。いつどんなトラブルが起こるか私たちにコントロールすることはできません。二つ目は人。パウロは人に迫害され、侮辱されました。私たちは他人の言葉や行動をコントロールすることはできません。三つ目はあなたの召し。パウロは宣教師として、使徒として大きな負担を負っていました。私も神からのコーリングである父としての役目、夫としての役目、牧師としての役目を自分で勝手に変えることはできません。皆様も神が召されたご自分の役目を変えることはできません。しかし、態度と考え方は変えることができます。不満を満足に変えることができます。

2)満足の秘訣:イエスキリスト。辞書によると「満足」は 「望みが達せられて不平のないこと。十分満ち足りていること」と定義されます。欲するものが満たされて満足する。美味しいラーメンを食べるとお腹がいっぱいになって満足する。お金が十分あるから満足する。残念ながら、このような満足は一時的です。満足したと思ったとしても、すぐに不満になり、また満足を追求します。このプロセスはグルグル繰り返します。

一番危険な欲はお金、富を追求する満足です。聖書はこのような満足に警告します。ヘブル13章5節~6節「金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。」富は真の満足を与えない。世の中のものは真の満足を与えることはできません。世の中の満足は、ある時はもっと欲しがる。貪欲になる。無い時は欲しくてたまらない。不満、不平になる。

私たちは世の中にどれだけ影響されているでしょうか。もっと高い給料が欲しい。もっと健康な体が欲しい。もっと新しい家が欲しい。あそこの家族と同じものが欲しい。欲しい欲しい欲しい。あなたが欲しいと思うとき、神はあなたへ満足しなさいと仰います。

聖書による真の満足とは何でしょうか?ピリピ4章12節「私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」パウロが語る満足の秘訣というものは何でしょうか?答えは、イエスキリストです。イエスがいると、どんなことがあっても、ある時ない時でも、満足し平安を得ることができます。

イエスが中心におられたら、お金がある時、ない時、食べ物がある時、ない時、生活が安定している時、不安定な時、これらは一時的な変動であり、大切なことは何も変わらないので心が満足と平安で満たされます。神は良いお方であること。神は忠実であること。神はそばにおられること。神は取る方、与える方であること。これが私たちにとっての真の満足です。ポイントは先ほど朗読したヘブルの箇所の後半です。「主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。」今日はキリストの灯火を照らしました。イエスは人間としてこの世に来られ、私たちと同じ生活をされました。イエスは無いこと、足りないことをよくご存知であり、私たちに同情してくださいます。主はご自分の愛により、必要なものを全て備えてくださいます。

3)満足イコール平安。実際、人生の中でトラブルが発生すると、変わりなく満足し続けることは中々できません。そういう時こそ神の助けと力が必要です。ピリピ4章13節「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」

イエスが嵐を収めたお話を覚えていらっしゃるでしょうか?マルコ4章35節~41節。イエスは弟子たちと船に乗りました。すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになってしまいました。弟子たちは死んでしまうと恐れていましたが、イエスはスースーと眠っておられました。弟子たちはイエスを起こして、イエスは湖にを静めさせました。このお話はイエスが神であることを示すお話ですが、弟子たちのことを考えると、彼らはイエスが側におられるのに、恐れました。彼らはイエスが側におられるのに、不安でした。

私たちも人生の嵐の中にいる時、トラブルに直面するとき、バタバタして不安に覆われてしまいます。しかし、私たちは確信を持つことができます。私の状況が変わったとしても、私は戸惑わないヨブ1章21節「主は与え、主は取られる。 主の御名はほむべきかな。」